善悪の彼岸

お彼岸中なので私は(水)に、父の墓参りに行った。

日頃花など買わない人々も、春、秋の彼岸、いや、盆、暮れ、正月、母の日には花を買うことがあるはずだ。
墓石と周辺をお掃除し、花を手向け、線香をあげた。
こうして時折、忘れずに家族が来てくれたら、父も嬉しいだろうと勝手に想像しながらお墓をあとにした。

そういえば、善悪の彼岸という、ニーチェの著した本を思い出した。
我が家にも文庫本がどこかにあるはずだ。
それとも理解不能で、売ってしまったか?
記憶もさだかではなく、若い頃に思いを馳せる。

当時フランス女優のドミニク・サンダが好きだった私は、渋谷にある映画館で、『善悪の彼岸』を観たことがあるのだ。
それなのに内容を全く思い出せない。
ドミニク・サンダは、ルー・サロメの役だったはずだ。
池袋の古本屋で、ルー・サロメの書物を見つけた時は、胸が高鳴った。ドミニク・サンダとオーバーラップしていたのた。内容など映画同様わかるはずがない。
数巻あったそれらは、数万円した気がする。
思いきって購入しようか迷っているうちに、次にその本屋に行ったときは、誰かのものになっていた。(えーっ、買う人がいるんだ?!そりゃー売り物だからね)

さて、日常生活において、理不尽なことは多々ある。
凡人には、こちら側から、あちらの岸にいくには、超越した精神がなければ無理なのか?
哲学的なことは、わからない。哲学といえば、フィギュアスケート町田樹選手が、テレビのコメントで、町田語録はもう言わないみたいな発言をしていた。少し残念だ。彼の愛読書はヘーゲルだったろうか?
しかし、哲学を語るには、あまりにも、凡人すぎるsilviaでした。

余談であります。
その頃、友人の結婚式で、独身だった私の隣の席に、友人が気をきかせて、某大学の哲学科卒の男性を座らせてくれた。
そのあと1回食事をした。
その後どうなったかって?やはり哲学とは、無縁だったようだ。今を物語っている。